ジュニアの象徴、最後の東京ドームへ
物語の結末は必ずやってくる。その結末が待ち遠しい時もあれば、逆の時もある。楽しくて面白くて、その物語をどんどん読み進めていくうちに、このストーリーに終わりなんてあってほしくないという純粋なあの気持ち。それでもページをめくる手を止められない。物語が終わってしまう物悲しさを知っているはずなのに。
2016年のIWGPジュニア選手権試合。新日本ジュニアの象徴とも言われる獣神サンダーライガーが、挑戦者として王者KUSHIDA選手に挑みました。
この時期からライガーは『ライガー最終章』という言葉を口にしており、それは近い将来の引退を匂わせる言葉。それも相まって観客の声援はライガー一色に染まってしまうほどの選手権試合だったのは非常に印象的でした。
結果として敗戦はしたものの、ライガーはまだまだ終わりなんかじゃない、まだいける。ファンの私達にそう思わせてくれたのはついこの間の様な気がしてなりません。
そして何より私達観る側が救われたのは、この試合直後のクシダ選手のコメントです。
「ライガーさん、最終章、その時間を今僕の時計で止めときました。5年、10年、15年、ずっと獣神サンダーライガーで居て下さい」(KUSHIDA)
この時のチャンピオンKUSHIDAは本当に粋なことをしてくれましたよね。クシダは自身の王者たるアピールをするのではなく、真っ先にファン心理に戻ることを優先し、自分が子供の頃憧れたジュニアのカリスマへの想いを込めて恩返ししたのです。しかし・・・。
2019年、当のKUSHIDAが新日本プロレスを退団。
タイムスプリッターKUSHIDAがライガー最終章の時間を止めてくれていたその効力は消えてしまったのです。魔法をかけてくれた人間が新日本という物語から居なくなってしまったから、、、なのかもしれません。
2019年3月6日の今回石森戦を終え、ライガーは引退発表。
引退となるその日その場所は、来年1月の東京ドームとの事です。
今回の選手権でたとえ勝っても負けても引退は考えていたようですね(一夜明け会見のライガーがそのような事を話していました)。ライガー自身は晴れやかな表情で思い残す事は無いとまで言い切り、気持ちの良い引退会見を見せてくれましたが、長年ずっと獣神サンダーライガーの戦う姿を見てきた私達ファンにとっては驚きと寂しさを隠しきれません。
プロレスラーには始まりと終わりがあります、我々の人生だってそうです。時は来た、それだけです。いつだってそうなのです。
こんな約30年という長い年月を費やした物語は、小説にもドラマにも映画にもなかなかお目にかかりません。日本のみならず世界中にファンがいる獣神サンダーライガーという存在。それはライガーの物語を知る人が世界中に居るという事。
今回はライガー物語に触れる記事を書きたいと思います。
しかしキャリアの長い選手です、なおかつ新日ジュニアのトップ戦線に居続けいくつも大きな話題を産み出してきました。そんじょそこらの文章量では語り尽くせないのは火を見るよりも明らか。なので、今回は焦点を一つに絞りましょう。
『獣神サンダーライガーというプロレスラーの一体何が最も凄いのか?』
この一点のみです。
これを私なりに当記事において書き記してみたいと思います。ライガーがジュニア選手としていかに強かったか、これについては語るまでもありません。
タッグのベルトも何度も巻きましたし、シングルのベルトも何度も戴冠しました。更には他団体のベルトについても複数種その腰に巻いています。リング上での戦いにおける強さは充分すぎる程の記録を残しているのです。
プロレスラーには強さや凄みがなければ絶対にダメだとライガーはよく口にしてきました。リング上はもちろんの事ですが、調印式、試合前や試合後のコメント、いついかなる時でもライガーには怖さがありました。昔のライガー全盛期の頃は本当に怖かった。。。
ここ数年のライガーは丸くなっていき、今では気の良い名物解説ゲストになっていますが、それはそれで理想的な歳の取り方かもしれません。繰り返し言いますが、全盛期のライガーはとにかく怖かったです。
ですがこういった強さの部分、ではなく、今回はライガーがプロレス界に起こしたある種の革命、それまでにはなかったジュニア史上のムーブメント、歴史を創りしレスラーである事の凄さを取り上げます。
つづきは次回の記事へ